大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和44年(あ)1497号 判決

主文

原判決および第一審判決を破棄する。

被告人を懲役三月に処する。

ただし、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中、業務上過失致死の点につき、被告人は無罪。

理由

弁護人池田惟一の上告趣意第一点のうち、判例違反をいう点は、引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反の主張であり、同第二点は、量刑不当の主張であつて、いずれも上告適法の理由にあたらない。

しかし、所論にかんがみ職権によつて調査すると、原判決および第一審判決は、後記のとおり、刑訴法四一一条一号により破棄を免れないものと認められる。

本件業務上過失致死の公訴事実について、原判決および第一審判決が認定した事実関係と、これに対する法律判断は、おおむね次のとおりである。

すなわち、被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四三年四月一四日午後九時三〇分ごろ、普通乗用自動車を運転して、鹿児島県川内市東開聞町から同県薩摩郡東郷町南瀬方面に通ずる幅員九、六メートルの国道二六七号線を、南瀬方面に向け、時速八〇キロメートルで進行中、同市中郷町一七〇三番地先にある右国道と幅員約三メートルの農道とが交差する交通整理の行なわれていない交差点にさしかかり、これを通過しようとしたものである。ところで、被告人は、右交差点の手前七二メートル余の地点に達したときに、右方農道上の交差点の手前四〇メートル余の地点を、点燈した単車に乗つて、交差点に向けて進行中の被害者寺脇育夫を発見したのであるが、当時は夜間で、視界も十分でなく、被告人の車両と被害者の車両との交差点までの距離関係からみて、交差点における両車の衝突の危険が事前に十分予測されたのであるから、自動車運転者としては、たとい自車の進行する道路の幅員が相手方のそれよりも広いものであるとしても、いつでも停止できるように法定速度以下に減速して、衝突を避けるべき業務上の注意義務があつたものといわなければならない。しかるに、被告人は、被害者が国道の入口で一時停止をし、自己を優先させてくれるものと軽信して、時速八〇キロメートルの高速のまま進行を続けた過失により、右交差点において、自車前部を被害者の単車に激突させて被害者をはね飛ばし、よつて被害者を頭蓋骨および頭蓋底骨折等により即死させたものである。なお、被害者に国道の入口で一時停止または徐行をしなかつた過失があつたとしても、それは、被告人の右過失責任を免れる事由とはならない、というのである。

たしかに、被告人が、右判示のような注意をしておれば、本件事故は発生しなかつたであろうと思われる。問題は、被告人にそのような注意義務があるかということである。そこで、以上の事実関係を基礎にして、被告人の注意義務に関する原判示の当否について考える。

道路交通法三五条三項によると、「車両は、交通整理の行なわれていない交差点に入ろうとする場合において、左方の道路から同時に当該交差点に入ろうとしている車両があるときは、当該車両の進行を妨げてはならない。」のである。また、同法三六条二項によると、「車両等は、交通整理の行なわれていない交差点に入ろうとする場合において、……その通行している道路(優先道路を除く。)の幅員よりもこれと交差する道路の幅員が明らかに広いものであるときは、徐行しなければならない。」のであり、同条三項によると、「前項の場合において、……幅員が広い道路から当該交差点に入ろうとする車両等があるときは、車両等は、……幅員が広い道路にある当該車両等の進行を妨げてはならない。」のである。これを本件についてみると、被告人は、被害者からみて左方の道路から交差点にはいろうとしていたものであり、また、被告人の通行していた国道は、被害者の通行していた農道の約三、二倍の広さなのであるから、これが明らかに広いものであることは多言を要しないところである。しかも、原判示によると、被告人が被害者を発見した当時における被告人の車両と被害者の車両との交差点までの距離関係からみて、交差点における両車の衝突の危険が事前に十分予測されたというのであり、しかも、現に交差点において衝突しているのであるから、被害者が交差点にはいろうとした当時において、被告人の車両は、同法三五条三項にいう「同時に当該交差点に入ろうとしている車両」であり、また、同法三六条三項にいう「当該交差点に入ろうとする車両等」であつたといわなければならない。そうすると、被害者としては、同法三六条二項により国道の入口で徐行し、かつ、同法三五条三項および同法三六条三項により被告人の車両の進行を妨げないように一時停止するなどの措置に出なければならなかつたものといわざるをえない。このようなわけであるから、被告人が、被害者が国道の入口で一時停止をし、自己を優先させてくれるものと思つたのは、自動車運転者として当然のことであり、これを不注意であるということはできない。もつとも、原判決は、被害者の方が被告人より先に交差点に進入していたのであるから、被告人としては、自己の方が幅員の広い道路を進行していても、道路交通法三五条一項の明記するところにより、被害者の進行を妨げてはならないのであり、したがつて、被告人が同法三六条三項を根拠にして、被告人に優先通行の順位があると判断したのは軽率といわねばならず、被告人に過失があることは明らかであるといつているので、この点について付言しておくこととする。同法三五条一項が同法三六条三項に優先する規定であることは、道路における危険を防止し、交通の安全を図ろうとする道路交通法の目的からいつて当然のことといわなければならないが、被告人が前記のように、被害者が国道の入口で一時停止をし、自己を優先させてくれるものと思つたのは自動車運転者として当然のことであつたのであるから、被告人が交差点にはいる直前に被害者が同法三五条三項、三六条三項の規定に違反して一瞬先きに突然交差点に進入してきたために、被告人が同法三五条一項により被害者の進行を妨げてはならないことになつたとしても、その一事をもつて被告人が右のように思つたことを軽率であるということはできないし、また、記録によると、被害者が交差点に進入したのは、衝突の直前であつたのであるから、これを捕えて被告人に不注意があつたともいえないわけである。

以上のような次第であつて、本件では、被害者が一時停止をして被告人に進路を譲るべきものであるから、被告人が、当時、道路交通法六八条に違反して時速八〇キロメートルの速度で車両を運転していたことは、右の結論に影響を及ぼすものではない。もちろん、被告人が法定速度である時速六〇キロメートルで運転していたとすれば、あるいは本件のような事故は起こらなかつたかもしれない。この意味で、右道路交通法違反と被害者の死亡との間には条件的な因果関係はあるが、このような因果関係があるからといつて、ただちに過失があるということができないことは、あえて多言を要しないところである。

これを要するに、本件被告人のように、交差する左方の道路で、しかも、交差する道路(優先道路を除く。)の幅員より明らかに広い幅員の道路から、交通整理の行なわれていない交差点にはいろうとする自動車運転者としては、その時点において、自己が道路交通法六八条に違反して時速八〇キロメートルで運転をしていたとしても、交差する右方の道路から交差点にはいろうとする車両等が交差点の入口で徐行し、かつ、自車の進行を妨げないように一時停止するなどの措置に出るであろうことを信頼して交差点にはいれば足り、本件被害者のように、あえて交通法規に違反して、交差点にはいり、無謀に自車の前を横切る車両のありうることまでも予想して、減速徐行するなどの注意義務はないものと解するのが相当である。

そうとすると、本件業務上過失致死の公訴事実について、被告人に過失責任を認めた原判決および第一審判決は、法令の解釈を誤り、被告事件が罪とならないのに、これを有罪としたものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑訴法四一一条一号により、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて、同法四一三条但書、四一四条、四〇四条により、被告事件について更に判決する。〈以下省略〉(飯村義美 田中二郎 下村三郎 松本正雄 関根小郷)

〈参考・第二審判決〉

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人池田惟一作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点事実誤認又は法令適用の誤りについて。

所論は要するに本件違反、事故につき被告人に法定速度違反の事実もなく又その補強証拠も充分でなく、従つて被告人に何等の過失もないのに、原判決は法定速度時速六〇粁を超過する時速八〇粁の高速で自動車を運転した速度違反と法定速度以下に減速すべき注意義務を懈怠した過失があるとし、しかも被告人の右速度違反と被害者の死亡との間には因果関係がないのに因果関係があるものとして道路交通法違反(速度違反)と業務上過失致死罪を認定したもので、原判決にはこれらの点に事実誤認の違法があり、又本件死亡事故は専ら被害者が道路交通法三六条三項に基く被告人の優先通行順位を妨げた結果生じたもので被告人の過失行為によつて生じたものではない。然るに被告人に過失があるとしたのは、同条項及び刑法二一一条の解釈適用を誤つた違法があるというのである。よつて記録及び証拠を検討して考察するに原判示速度違反及び業務上過失致死罪の事実は原判決挙示の証拠を総合して充分にこれを認めることができる。すなわち右証拠を総合すると被告人は夜間自動車を運転し時速八〇粁で幅員9.6の国道を進行中国道と交叉する幅員約三米の右側農道上を被害者が点灯した単車に乗車して、国道方向の交叉点に進行するのを右前方約70.6米附近に認めたのであるが、(その時の被害者の交叉点まで距離四〇米余で被告人の交叉点までの距離七二米余)被害者の方で国道入口附近で一時停止して衝突を避けるものと軽信して時速八〇粁の高速のまま進行したため、一時停止もせずにそのまま進行してきた右単車と右交叉点で衝突し、被害者に原判示のような傷害を負わせて死亡するに至らしめたことが認められ、特に平忠良の司法巡査に対する供述調書によると、被告人の自動車に同乗していた右平は被告人が右交叉点附近を時速八〇粁の高速で進行していたことを供述しており、右調書は被告人の速度違反の自白を補強するに足るものであつて、右速度違反の認定に反する証拠はなく原審の証拠の取捨証明力の判断に格別不当とすべき点は見当らないから、速度違反の事実がなく又その補強証拠がないとの所論は採用できない。そこで被告人の過失の有無につき検討するに、前記認定のように法定速度を超過して自動車を運転することを避けるのはもとより本件のように夜間右側農道から灯火をともした被害者が国道に向つて進行するのを事前に認めながら、被告人が時速八〇粁の高速で自動車を進行させるときは、夜間で視界も充分でなく且つ被害者及び被告人の交叉点までの距離関係から被害者と被告人の車輛の衝突の危険が事前に充分予測される場合には、たとえ被告人の進行する道路の幅員が被害者のそれよりも広いものであつたとしても、被告人としては何時でも停止しうるように法定速度以下に速度を減じて衝突を避けるべき注意義務があるものといわなければならない。しかるに被告人はこの注意義務を怠り被害者が国道入口で一時停止し自己を優先させてくれるものと軽信して時速八〇粁の高速のまま進行したのであるから、被告人に道路交通法違反(速度違反)のあることはもとより死亡事故に対する過失のあることもまた明らかであつて、被告人に過失がないとの所論も採用できない。そうしてたとえ被害者が国道入口で一時停止又は徐行しない過失があつたとしても被告人の右過失責任を免れる事由となるものではない。即ち本件死亡事故は被告人の右過失に起因して生来したもので被告人の過失が被害者の死亡事故の一因をなしていることは明らかで、被告人の過失と被害者の死亡との間に因果関係がないとの所論は採用できない。又司法警察員本村睦夫外二名作成の実況見分調書及び原審における検証調書によれば、被害者は被告人より先に交叉点に進入していることが認められ、斯る場合にはたとえ被告人の方が幅員の広い道路を進行していたとしても被害者の進行を妨げてはならないこと道路交通法三五条一項の明記するところであるから同法三六条三項を根拠として被告人に優先通行の順位があると被告人が判断したのは軽卒といわねばならず、従つて被告人に優先通行の順位があるとの所論も採用できないし、被告人に過失のあること前記のとおりで所論のように原判決には道路交通法三六条三項刑法二一一条の解釈適用を誤つた法令適用の誤りはない。それ故所論のような事実誤認又は法令適用の誤りはない。

控訴趣意第二点量刑不当について〈省略〉

昭和四四年六月二六日

(福岡高等裁判所宮崎支部)

〈参考・第一審判決〉

主文

被告人を禁錮一年に処する。

但し、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

第一、罪となるべき事実

被告人は、自動車を運転する業務に従事する者であるが、昭和四三年四月一四日普通乗用自動車(鹿五そ六三二号)を運転し、川内市東開聞町から薩摩郡東郷町南瀬に向け、国道二六七号線を進行中、午後九時三〇分頃、法定の最高時速六〇キロメートルを越えた時速八〇キロメートル以上の高速度をもつて同市中郷町一、七〇三番地先にさしかかつた際、寺脇育夫(当三七年)が単車に乗り右方道路から進行してくるのを70.2メートル位の距離で認めたが、そのままの速度では同交差点において右寺脇の単車と衝突するおそれがあつたので速度を法定以下に低減し、寺脇の挙措動静に注視し、同人の単車との衝突を避ける業務上の注意義務があるのに拘らずこれを怠り、右寺脇において国道二六七号への進入口で一旦停車し被告人の乗用車との衝突を避ける措置を講ずるものと軽信し、従前の違法な高速のまま進行を続けた過失により、前記交差点において自車前部を右寺脇の単車に激突させて同人を22.3米前方の道路上にはね飛ばし、同人に頭蓋骨並びに頭蓋底骨折等の傷害を与え、よつて同傷害により同人を即死するに至らせたものである。

第二、証拠の標目〈省略〉

第三、法令の適用〈省略〉

尚弁護人の業務上過失致死の点に対する信頼の原則による無罪の主張につき判断を示せば、信頼の原則は自ら法規に従つて運転することによつて、相手も亦法規に従つて運転するものと信頼して運行したその結果に対し、自らの行為が許容されるという免責の原則である。自らの違法な運転が免責されることはない。自らの違法な運転と衝突事故とは因果関係がないというのならそれは信頼の原則の問題ではない。本件について見ると明らかなように被告人がもし制限速度六〇キロメートル以内の時速で運転していたら本件衝突事故はおそらく起らなかつたであろう。起きたとしても傷害の程度は本件より軽くて済んだかもしれない。かかる事情下で被告人の行為が許容されるはずはない。被害者が一旦停止して優先道路上の被告人の自動車を通過させなかつたことに過失を認めることができたとしても、弁護人の言を借りれば、被害者も亦被告人が六〇キロメートルの制限速度を守つているものと信頼し、無事交差点を横断しようとしたもので信頼の原則が成立するのかもしれない。その結果は双方無責という許すべからざる結果となるだろう。

信頼の原則は運転者の運転行為の結果に対する許容の原則であるから違法な運転行為が許容されるはずはないこと明らかである。弁護人の主張は採用できない。よつて主文のとおり判決する。

昭和四四年二月四日

(鹿児島地方裁判所川内支部)

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